0909.02




     †

10代目がおかしい。

思い返せば『獄寺君の家に行く』とか宣言した時からおかしかった。

10代目は奥ゆかしい方だ。
頼みごとをされたら断れないマフィアの一位
フゥ太のふざけたランキング保証付き。
ともかく押しに弱いから今まで苦労してこられた。
強くなったと思う今でもその性格に変わりはない。
そんなボス、他にいねえ。

けどその10代目の変わらない性格は人一倍に人間の弱さというものを知っているからで、それが弱点だっていうならオレは10代目の弱さが好きで、この方の弱さを守る為にオレはいるんだと最近思う。

だってのに、今日は何か違う。
強引って言葉は10代目の辞書に存在しないんだと思ってた。

     †

……。
またぐるぐる余計なこと考えてるな、アレ。
なんでこうなったんだろう?
って顔で獄寺君はコーヒーを用意してくれている。
居たたまれなくってツナは視線を逸らす。
悪いけどアレ、飲まないようにしよう。
カップからコーヒーが溢れてる。
溢れてるのは液体じゃなくて、粉と砂糖だ。
アレにお湯を入れたらどうなるんだ?
ツナは短く溜め息をつく。
とりあえず動揺してるのはわかる。
相変わらず、頭が良い癖に思考がただ漏れだよこの人。
可愛いけど。
浮かんだ感情を慌てて打ち消す。
んなの考えてんのバレたら怒られるっていや、怒らないだろうけど。

それにしても。
困ってるみたい、だな。
別にオレ、そんなにしつこく頼んでない。
……。
そりゃ少し強気に頼めば獄寺君は逆わないかな?
とは思ったけど、あの反応は拍子抜けって言うか。
獄寺君から返ったのはあっさりとした『わかりました』の返事だけ。
理由も聞いてこなかった。
再び溜め息。
そんなにイヤなら断れば良かったのに。
駄目か。
そもそもこの人にはオレに逆らうって選択肢が無いんだし。
……ないこともないか。
ちゃんと「従えません」と言われたことはある。一度だけ。
あれでちょっとだけ、一方的な関係も改善したのかと思ったんだけど。こうしてみると、何も変わってないんだよな。
逆らったのは、たった一度。
結局、オレの頼みは獄寺君にとっては命令らしい。
ちくりと心臓が痛む。
なんだろこれ。
ああ罪悪感か。
……違うだろ
って心の声が聞こえた気がするけど深く考えないようにする。
そんなの、元から知ってることだし。
嫌なことから逃げるのは得意だし。
溜息。
「10代目?」
やめよ。自分で自分に突っ込みしても空しいし。

「10代目!?」
手を握られてツナは我に返る。
「へ?」
「大丈夫っすか? さっきから黙り込んで」
「獄寺君?」
なに深刻な顔してんだろ。
「10代目、ひょっとして気分が悪いんすか」
逆に心配されてた。
「平気だけど」
が、獄寺はツナの返事を聞いてない。
狼狽えた表情で自分の部屋を見回す。
「……体温計も無え」
苛立たしげに舌打ち。
「すんません、ちょっと行ってきますんでお待ち下さい」
「はあ? どこに」
「薬買ってきます、ありったけ!」
すぐにでも出かけようとする獄寺にツナが慌てる。
「ちょっなんで? 平気だから待って!」
「駄目です。10代目に何かあったらオレ死んでも死に切れません!」
「何かも何も、無いよ。考えごとしてただけだってば」
「けど」
「だから!」
無理矢理肩を掴んで引き寄せる。
「ほらオレ、顔色悪くないだろ!」
ツナをぽかんと見つめる獄寺。
「……え」
碧色の目にまともに見返されてツナが固まる。
「……」
絡む視線。なぜかそのまま、二人して黙ってしまう。

     †

どのくらい思考停止してたのか、10代目がはっとする。
「あ、あるよ」
「は?」
「ちょっと待ってて」
呆気にとられると10代目は持ってきたビニール袋を漁る。
程なくして手の上に載せられたのは、風邪薬。
「あの」
「あとポカリと、薬も一通りあるよ」
「……準備良いっすね?」
「違うよ。君が倒れてるって言うから持ってきたんでしょ。だからこれは君にあげる」
「い、言ってませんよ!? それにこんなもの貰えません。オレには必要ありませんし」
「けど良かったよ。無駄足にならなくて」
「返事になってません10代目」
「そう?」ちらっと考えて、「まあいいよ、噛み合わない会話は気にした方が負けだから」
「へ」
「だって君、自分の家になんの薬も置いてないんだよね」
「いや、その」
押され気味で焦る。いつもの逆つーか。
「持ってないから買いに行こうとしてたんだよね? 体温計すら無いとか一人暮らしなのに不用心だよ。体調管理、出来てない証拠」
「うっ」
言い返せない。
「本当に何かあった時に困るよ?」
「……い、いただきます」
項垂れる。な、なんか情けねえ。
「……勝った」
ぽそっと聞こえた呟き。
「今なんて?」
「何も言ってないよ」
あはは、と笑う10代目。
……わざとらしいんですが。思わず疑わしげな目で眺めてしまったら、見つめ返された。
「うん?」
ふ、と笑う10代目。
全く邪気のない──ってわけじゃあ、ない気がする。
すげー企んでる気配がするんですが。
なのに迷いの無いまっすぐな視線に気圧される。
「あ、ああいえ、その。腹減りましたよね。なんか食べたいものありますか?」
「うーん? オレはあんまり詳しくないんだけど。やっぱりイタリアのお菓子がいいのかな? なんだっけ、あれとか」
甘い匂いの中で聞いたせいか、10代目がそう考え込む。
「あ、いや……」
どう言おうか、悩でいると10代目は耳元で呟く。
「ティラ、ミス?」
がしゃん。
いろいろ物が落ちて転がった。勢いよく後ろに下がったんで腰が背後のテーブルにぶち当たった。
「ちょっ、獄寺君!?」
慌てる10代目。
「だ、だいじょうぶです」
「顔、赤いし。やっぱり君の方が具合悪いんじゃないの? 無理そうだったら作らなくていいから寝ててよ」
ああ、
「そっちっすか」
息を吐く。焦った。
「そっちってどっち?」
「いえ、菓子じゃなくて夕飯です。出前でも頼みますよ」
「……」不審そうに眉を顰める10代目。けど、「なにが頼めるの?」
それ以上は追求してこなかった。
ありがたい。
「お望み通りに。ピザでも寿司でも中華でも、10代目のお好きなものおっしゃってください」
すし、と10代目が口元だけで呟いた。
「寿司ですね」
「違うんだけど……ごめん」
「は?」
いきなり謝られた。
「本当は山本も来るって言ってたんだけど、オレが止めたんだよね」
「はあ」
「だって、もしインフルエンザだったら移るといけないし……って、別に言い訳するつもりじゃないけどほら、山本は野球やってるし、オレと違って試合あるしチームメイトもたくさんいるし」
「はあ」
10代目が饒舌だ。
……けど何がおっしゃりたいんだ?
「だからさ、他の皆が君を心配してなかったわけじゃないんだよ。本当ごめん」
「別にどうでも良いです」
「よ、呼ぶ? 山本も呼ぶ?」
「いりませんよ」
「あ。そう」
ほっと息をつく10代目。
会話が途切れる。
……あ。
しまった馬鹿かオレ! オレ緊張してんのに二人きり、って間が持たないじゃねーか? 10代目のお望み通りに野球バカ呼びつけりゃ良かったのか? でも──
後悔先に立たずとは言うが、発言はほんのさっき、たった今。なんとかならねえのかこれ。
「そういえば」10代目の声で思考が遮られる。「ティラミスってどういう意味?」
「ななんですかいきなり」
「いきなりかな? 君、やけに反応してたから意味があるのかなと思っ」
「無いです! 全くなにも!」
10代目はきょとんとした顔。
「獄寺君てすごくわかりやすいね」首を傾げる。「嘘だよね」
「や、その」
どう説明すりゃいいんだ。返答に詰まってたら10代目は軽く溜息をついた。
……え?
「ごめん」
謝られる。
「10代目?」
すいっと視線を逸らされた。
「たいしたことじゃないんだ。ちょっと気になった、ってだけだから。君が話したくないなら話さなくでいいよ」
──なんだよそれ。

     †

「わかりました。きっちりご説明させていただきます」
懐から眼鏡を取り出すと10代目が目をむく。
「眼鏡常備してんの!? じゃなくて、あ、あれ?」視線が泳ぐ。「オレ今、話さなくていいって言ったよね?」
自信なさげ。
「いえ。んな半端なのはオレの気が済みませんからご説明致します」
「……。ああ、ムキになってるんだ君」
「全然、なってません」
10代目は呆れたように溜息をつく。
「……もー」
面倒くさいなあ、と呟きが聞こえた気がするけど勿論気のせいだ。
「では10代目。あれってイタリアの菓子でしょう? ですから語源はイタリア語なんです。Tira mi su」
「へえ」
「Tiraは日本語で言うなら引っ張るという意味です。miってのは私で、 suは上です。総合すりゃ、そうですね。『私を上に引っ張って』って言葉になります。私を元気づけて、っていう解釈になりますね」
「へえ」
ちょっと興味を示したらしい10代目が小首を傾げる。
「ただ、こういった解釈にはいくらか幅があります。もうひとつの意味が」
「うん」
「私を天国に連れていって」
「天国? ロマンチックだね」
「絶頂に導いてって事ですが」
「──は?」
「下品な言い方すりゃセック」
「わあああああ!」
「んなっ?」強引に遮られた。「10代目?」
「あ、あははごめん。ええと、イタリア人らしいね、流石っていうか」
「イタリアっつってもティラミスの発祥の地はヴェネト州、ヴェネツィアだと言われています。いかにも奴らの発想ですよね」
説明してる内にノッてきた。
「ですから恋人同士で食べる菓子なんです。要はあれ、洒落なんですよ。枕の表裏でセックスのイエスノーの意向を伝える暗号があるでしょう?」
「え゛」
「ティラミス作ればやろうって合図に使う奴らもいたってことです」
「そうなんだ。面白いね」
「喜んでいただけて光栄です」
「はは……」
余程喉が渇いたのか、10代目はぐいっとコーヒーを口に含む。
途端、もの凄い勢いで咽せられた。