「137g」
ひとり呟いて、獄寺は頷く。
計量は0.1mg単位のデジタルのはかりで正確に。
温度計の確認もOK。
計算は完璧、問題ない。配合ならば慣れたもの。
ここまでして失敗は全く考えられない。高揚する気分を抑えて慎重に素材をチェックする。
無塩の発酵バター、北海道産の上等な薄力粉にバニラビーンズ。生乳100%の生クリームに牛乳。
普段全く使われることのないキッチンに材料器具が並んでいる光景は、それだけである意味壮観だ。
すべては明日の為……。
明日は10代目が家に遊びにいらっしゃる。
週末の放課後の事だった。
突然ツナが何かの話のついでのように……という割にはなんだか藪から棒なタイミングで獄寺に聞いた。
「そうだ。来週の水曜日なんだけど、君の家に行っていいかな」
「はい?」
聞き間違いかと固まった獄寺に、
「えっとね、君の家に行っていいかなって」
ツナが繰り返す。
「オレの家に、10代目が、ですか?」
復唱してみても意味がわからない。
何でだ?
「だめかな?」
ツナは困ったように聞き返す。見上げてくる無垢な視線に慌てる。
「いえまさか、駄目なわけありません! 10代目ならいつでもどこでも歓迎っす!」
「あ、そ、そう……?」 ツナ、相変わらずの獄寺の勢いに気圧されている。 「……あの、どこでもじゃなくて獄寺君の家、だよ?」
にしても、獄寺は疑問に思う。
わざわざ日付指定なんて珍しい。
そりゃ、突然来られるよりお迎えする準備が出来て良いけど。
……けど。
「けど良いんですか? オレの家は10代目のお宅や野球バカの家と違って何も無いんで面白くないですよ」
そもそも普段、他人を家に呼ぶことが無いから戸惑う。
ツナが首を傾げる。
「なんで? 竹寿司美味しいし比較するのはわかるけどオレんちには特別なもの無いよ。狭いしうるさいし、平凡だし」
「……」 ツナの台詞に獄寺は意味がわからないのかきょとんとして、ふいっと微笑む。 「そこがいいんですよ」
ツナは不意打ち食らったみたいに顔を赤くする。
「い、本当は嫌なら言ってね、遠慮するから」
「わかりました。来てください」
「あ、うん」
†
結局、10代目が週末の「今日」でも「明日」でもなく水曜日を指定した理由は聞きそびれた。
聞いたけど曖昧にはぐらかされたような……。
つまり気合い入れて出迎えろって事だよなと獄寺は理解した。
で。家に迎えるとなったらやはり家庭料理か?
と思いついた提案は一瞬で諦める。
無理だ10代目のお母様にかなうはずがない。
だから妥協策がこれ。
ストップウォッチをセット。
卵白の泡立ては90秒。
ぴん、ぽん。
玄関のチャイムが鳴った。獄寺は無視する。
あらかじめ擂り鉢で粉砕しておいたグラニュー糖を三分の一の量、加えて更に90秒の泡立て。
ぴんぽん。
新聞の勧誘か保険のセールスか、どちらにしろ今はそれどころじゃない。
更に三分の一加えて90秒。
ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽん。
……近所からの苦情か。心当たりは無くも無い、けど最近は問題を起こしてない筈だ。
無視。
ぴんぽんぴんぽんぴんぽんぴんぽん。ぴん、ぽん。
今度はどんどんと扉を叩き出す。
がちゃ、がつ。ノブを回そうとする。
……。しつけえ。
「るせえ果たすぞ!」
「ひっ」
前触れ無しにがたんとドアをあけた、獄寺の視界に入ったのは制服姿のツナ。
……れ?
二人、見つめ合ったまま固まる。
下校後、家にも帰らずにそのままここに来たのかツナはまだ学校の鞄を抱えてる。
なんで10代目がいるんだ? 約束は明日なのに。あれ?
青ざめる獄寺。まさか日付間違えた、か?
「新型が……」
そう、ツナがつぶやく。
「は?」
てか気のせいか今、10代目がドアを蹴破ろうと構えていたような。
シンガタ?
混乱したまま答える。
「新型爆弾ですか? 今んとこ開発してないですけど」
「そっち!?」
どっちだ。10代目の突っ込みに首を傾げつつ、
「兵器が御入り用ですか? でしたら今から作りますが」
「……いらないよ」
どこか決定的に噛み合わない会話に、けれどツナはほっとしたように息をつく。次にむっとした顔。
「誰だよ寝込んでるって言ったの」
「寝込んでるって? 誰がです」
「携帯全然繋がらないし。君、知ってる? インフルエンザが流行ってるの」
「っは?」
携帯?
思い返す。
そういえば。集中してメニュー考えていた時に鳴ったメールにイラッとして衝動で電源を切ったような記憶がある。……二日ほど前に。
インフルエンザ? 新型って、
フリーズした獄寺にツナは畳みかけるように問い詰める。
「なんで学校休んでたの?」
それはもちろん、10代目をお迎えする為に、準備を。
……。
言ったら怒られそうな予感が、流石にしてきた。
「え。えー、と……そういうときはテレパシーでお呼びください! すぐに駆けつけますから!」
獄寺、動揺して口走った台詞の意味が自分でわからない。
「呼んだよ?」 けどツナは真面目に返す。「答えはなかったけど」
ぐうの音もでない。
苦し紛れに、はは、と山本みたいな空笑い。
「きつい冗談っすね」
ツナの冷めた視線に見つめられて、
「ど、どうぞ中へ」
考え無しに中に入れてしまった。
†
「んなっ!?」
一歩、中に足を踏み入れたツナが叫ぶ。
「10代目!? どうしました!?」
ツナは呆然と突っ立っている。
「いや。これ、どうしたの」
「あ」
忘れてた。
ツナが圧巻されて眺めているのは室内に充満する甘い香りと大量の試作品。
「……す、すごいね」
生クリームのスポンジケーキにシフォンケーキ。シュークリームみたいなものもあるし、ダンゴみたいなものがある。
匂いは紛れもないお菓子だ。
けど外見がすごい。
カスタマイズに凝る性格故か、デコレーションに凝った結果、わけのわからない物体が出来上がっている。
「本当は明日、びっくりさせようと思ったんですが」
「へえ」
照れる獄寺に10代目の反応は微妙だ。
てか引いてる。
少し、へこんでくる獄寺。
「まさかこれを作ってたの? 学校休んで」
恐る恐る聞くツナ。
「……はい」
「なんでまた」
「だって、おもてなしと言えばこういうものじゃないんですか?」
聞き返されて返答に困るツナ。
「ま。まあ色々あるけど」 ごまかした。「でも無理しなくても良いのに」
「無理、に見えますか」
「そりゃそうだよ。獄寺君にスイーツとか似、」
ツナは、似合わないと言おうとした。
「……似合ってるね」
うなだれていた獄寺は、誉められて勢い込む。
「アネキが言ってたの思いだしたんです。お菓子は計量が命だって。そういう分野なら得意です」
はあ。とツナは溜息とも感嘆ともとれる声。
「ビアンキの料理のウンチクを信用するんだ? 君が」
すると獄寺は眉間に皺を寄せる。
「あいつ、結果はアレなんですが腕は確かなんです」
はあ? って顔してから、けど考え込むツナ。
「……そういえば京子ちゃんとハルも教わってたな」
彼女たちの料理はまともだ。
「人に教えるのはうまいのか……」
「そうなんですよ。言いたくないですが」
心底嫌そうに褒める獄寺に、ツナが吹き出す。
「10代目ぇ、なんで笑うんです」
「ごめん。でもまた一周回って変な結論出したね」
ひょっとして呆れてるか?
どう見ても呆れてる。
「すっすみません」
「……。味見してみて良い?」
「マジっすか?」
食べるつもりか!? 慌てる獄寺。
「えっ、マズいの?」
「自信あります、けど」
「けど?」
「……。ではこれを」
と差し出す一番の成功作。
「あ、ありがと」
ツナは後悔した。
固唾をのんで見守る視線が気になって食べ辛い。
散々準備しておいて今更怖じ気づくんだからなこの人。
心の中で突っ込みつつ一口食べて、
「……おいしい」
びっくりした。
「マジっすか?」
獄寺、今度は嬉しそう。思わず微笑むツナ。
「けど参ったな。ケーキ自分で作っちゃたんだ」
少し途方に暮れた様子。
「は?」
「全く期待されてないと……なんかな」 スプーンを銜えたままぼそっとつぶやく。 「オレは自分の時に期待したけど」
恥ずかしいなあ、とつぶやく。
「何の話ですか」
「獄寺君って」 ツナは溜息。 「今日君んち泊まってって良い?」
「へ?」
なんでだ。
「えーと、だって」
沈黙する。
「……あの? だって、の後の台詞を今、考えてませんか10代目」
「どうせ明日行く予定だったし?」
そう言ってツナはにこりと笑う。
「前日話」な為にフライング更新ですが
続きが明日中に間に合わないのは確定的。
……まあ、〆切ないしのんびりいきます。